浅草寺の豹変2015年05月13日 14時55分42秒

板壁
三社祭のお囃子準備や関連の仕事をやっていたので、ブログを書けませんでしたよ。
ところで、住職の正式な名称と人事は全く知りませんが、浅草寺のトップの住職は30代後半で、京都の寺に留学しただとか、もしくは住職の人事異動で京都の寺から来た人だとか、良く聞きます。
それはいいとしても、ただ、下町の庶民の寺で生きてきた浅草寺を、そのトップの30代後半の住職が京都のようにしたいと言っているとの噂があります。
それで前にも書きましたが、三社祭で使用する浅草寺の広場に大木を植えたり、今回は写真のとおり三社祭で使用するにもかかわらず、その場所を芝生にして立入り禁止にし、板壁で覆ってしまいました。
歴史を見れば浅草神社の神様のおかげで、現在の浅草寺は成り立っているにもかかわらず、浅草神社の神様の祭りである三社祭をないがしろにするような行動は厳につつしむべきである。
過去のいくつかの浅草寺の三社祭に対する妨害を見ていると許せない気持ちである。
これが誤解であればいいが。

今日の読売夕刊2015年05月13日 17時19分04秒

今日の読売夕刊記事
この記事は、過去に暴力団が入ったために荒れていた三社祭が、暴力団排除の努力が実り、やっと氏子による宮出しが出来るようになった、と報じています。しかし、それとともに以前行っていた鳶頭が本社神輿の上に乗り行っていた宮出しと宮入りも出来なくなりました。
あの感激が忘れられません。いつかあの頃の宮出し・宮入りが氏子の手に戻ることを念じてやみません。

あの頃の宮入2015年05月13日 17時33分14秒

平成11年5月16日(日) 三之宮宮入
これは平成11年5月16日(日)の三之宮の宮入の写真です。
浅草寺本堂前を本社神輿の三之宮が夜の闇に浮かび上がり、宮入のため鳶頭が乗り浅草神社方向へ誘導するとともに、担ぎ手に悔いのないように最後の神輿を思う存分担がせながら進む姿を写したものです。
あと少しで終わりを告げる三社祭。祭りが終わる寂しさと悲しさと立派に三社祭を終えて欲しいと思う気持ちが交錯したものでした。浅草に生まれて良かったと思い、感激で涙が滲んだこともありました。
これが本来の宮入りの姿なのです。私はいつかこの姿の宮出・宮入を再び行いたい、見たいという気持ちでいっぱいです。