元旦浅草の大混雑 ~コロナ禍は何処へ行った?~ ― 2023年01月01日 16時24分12秒
明けましておめでとうございます。
本年もブログをよろしくお願いいたします。
元旦の今日は、浅草の混雑具合の写真報告です。
いつもどおりの交通規制です。
雷門前の通りです。歩行者天国になっています。
考えてみれば「歩行者天国」もクラシックで、昭和時代を感じますね。(笑)
雷門正面の通りです。
ここも交通規制。
浅草寺初詣客の行列です。仲見世通りに入りきれないので、雷門前で行列しています。
ずっと奥まで行列です。
ここで折返し。オレンジ通りのところです。2往復していました。なかなか仲見世通りまでも入れません。
新春浅草歌舞伎が開催されている浅草公会堂です。
伝法院通商店会のお店です。台東区から立ち退くように数年前に訴えられました。判決はどうなるでしょうか。
たぶん、地元の人は行かないホッピー通りの居酒屋です。私の知人も高かったと嘆いていました。
六区方面へ行く通りです。
何故かブタちゃん。誰かのペットなんでしょうね。私は今回で2回目のご対面です。
花やしきです。
やっと浅草寺本堂前に来ました。ここも規制され事故のないようにゆっくりと入ります。
露店です。
浅草寺の横にある浅草神社。この神社の3人の神様が浅草寺の観音様を隅田川から発見しました。
浅草寺のいわれには書いてないようですが、観音様は嵐で隅田川まで流されたという言い伝えがあります。
観音様の元の所在は、埼玉県飯能とも、富山県砺波とも言われています。
私は両方とも現地確認してきました。
当時の浅草寺住職も現地に出向き認めているようですが、他にも所在があると言われており、正しくは分かりません。
いずれにしても元の所在は1か所でないとありえません。複数あるわけがありません。
浅草神社の3人の神様の本社神輿です。
コロナ禍で3年、三社祭は中止になりました。
今年はどうなるでしょうか。
いよいよ寒さ本番ですね ― 2023年01月02日 17時04分46秒
まだ、都心は雪が降らないので楽な方です。
寒さ以外に大雪が積もる北国の方々の冬の生活の苦労はしのばれますね。
ところで、ついに昨年暮れの紅白歌合戦は見ないで寝てしまいました。
一応、ビデオは撮ってありますが。
三が日が過ぎれば、ワイドショーが再開し紅白が話題になります。
それを見れば紅白のダイジェストを見た感じになると思っていたら、今日、NHKでも民放の先手を打って放送するのです。
だのでNHKの放送を見ようと思います。
紅白歌合戦は長時間の放送なのと、名前の知らない歌手が歌う聴いたことが無い歌を、我慢してずっと見ているのも地獄ですからね。
今後、NHKもこのようなダイジェスト版放送をして欲しいですね。
余裕のある時間はたくさんありますが、長時間見続けるのも苦痛です。我慢大会ではありませんから。
先ほど放送を見ましたが、昨年ではなく過去の紅白でした。
これだったら、紅白前に放送していたものと何も変わらない。
残念でした。
寒さ以外に大雪が積もる北国の方々の冬の生活の苦労はしのばれますね。
ところで、ついに昨年暮れの紅白歌合戦は見ないで寝てしまいました。
一応、ビデオは撮ってありますが。
三が日が過ぎれば、ワイドショーが再開し紅白が話題になります。
それを見れば紅白のダイジェストを見た感じになると思っていたら、今日、NHKでも民放の先手を打って放送するのです。
だのでNHKの放送を見ようと思います。
紅白歌合戦は長時間の放送なのと、名前の知らない歌手が歌う聴いたことが無い歌を、我慢してずっと見ているのも地獄ですからね。
今後、NHKもこのようなダイジェスト版放送をして欲しいですね。
余裕のある時間はたくさんありますが、長時間見続けるのも苦痛です。我慢大会ではありませんから。
先ほど放送を見ましたが、昨年ではなく過去の紅白でした。
これだったら、紅白前に放送していたものと何も変わらない。
残念でした。
アマチュア天文家 藤井旭さん逝去 ― 2023年01月03日 11時11分13秒
天文を趣味にしている人なら誰でも知っているアマチュア天文家の藤井旭さんが2022年12月28日に亡くなりました。
私の人生の趣味にも大きな影響を与えた人でした。
若い時に那須高原に山小屋を建てたのも綺麗な星空を見たいためで、藤井旭さんたちが建てた那須高原(福島県西郷村)の私設天文台・白河天体観測所の影響も大きなものでした。
その白河天体観測所も東日本大震災で壊れ、再建できずに2014年に閉鎖されてしまいました。
私の山小屋兼天体観測所も私の年齢とともに維持が難しくなり、自然の好きなご家族へお譲りしました。
山小屋はご家族により活用されていると思います。
非常に残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。 合掌
天体写真家の藤井旭さん死去、81歳 著書「星になったチロ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/6619ac402a8fd99d2e7dd5470ba9e330ac418590
私の人生の趣味にも大きな影響を与えた人でした。
若い時に那須高原に山小屋を建てたのも綺麗な星空を見たいためで、藤井旭さんたちが建てた那須高原(福島県西郷村)の私設天文台・白河天体観測所の影響も大きなものでした。
その白河天体観測所も東日本大震災で壊れ、再建できずに2014年に閉鎖されてしまいました。
私の山小屋兼天体観測所も私の年齢とともに維持が難しくなり、自然の好きなご家族へお譲りしました。
山小屋はご家族により活用されていると思います。
非常に残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。 合掌
天体写真家の藤井旭さん死去、81歳 著書「星になったチロ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/6619ac402a8fd99d2e7dd5470ba9e330ac418590
藤井旭さんは、こんな人でした ― 2023年01月03日 15時43分01秒
読書感想文に藤井旭さんの人となりを書かれたものがありました。
それをお借りして掲載します。
この感想文を読みながら、昔のことを思い出し涙が出ました。
長いのですが、興味があれば読んでみて下さい。
「私が久しぶりに購入した本は藤井旭さんの書いた「白河天体観測所」です。「日本中に星の美しさを伝えた,藤井旭と星仲間たちの天文台」という副題がついています。
1966年に創刊されて50周年を迎えた「月刊天文ガイド」は,パソコンもスマホもなく、まだ日本が貧しかったころの少年たちが夢を膨らませるのに十分な雑誌でした。そうした少年たちより少し年上の先輩たちの活躍や話題がこの雑誌を作り上げ,日本のアマチュア天文家に天体写真ブーム巻き起こしたのです。
そのなかには池谷薫さんとか関勉さんのように彗星を発見したりする人や富田弘一郎さんのような専門家がいたのですが,そういう人たちとは別に,一見,学問とか業績とは無縁のアマチュア天文家のリーダー的な存在を通したのが,天体写真家の藤井旭さんでした。
藤井旭さんは1941年の生まれ。子供のころに戦後で何もないので星ばかり見ていた事から星が好きになったのだそうです。山口市の出身なのですが,大学は(入学試験が楽なので)多摩美大を志願して見事入学。入学後は星ばかりを見て過ごし,卒業後,とにかく星がよく見えるところという条件で東北を旅していたときに,ちょうど郡山に寄った際,饅頭屋で「これはうまい」と言ったら,それを耳にした社長から「それじゃ社員になれ」ということでお客が直ぐに店員となって働き出したという経歴の持ち主です。
その後,1969年に福島県の白河に星仲間と一緒に白河天体観測所というアマチュアの観測所のはしりとなる天文台を建設して口径30センチメートルの反射望遠鏡を設置しました。その天文台も,学問とはほぼ無縁,仲間内で星を楽しむための施設でした。そして,台長さんには飼っていたアイヌ犬のチロを任命。この辺りはクマが出没するので一番強く頼りになる犬のチロが天文台長にふさわしい… ということでそうなったのだそうです。
さらには,愛犬のチロとともに「チロの星祭り」を浄土平で毎年開いて,全国から2千人もの人が集まったり,日本ではもう新たに見る星がなくなったと,1995年に南半球の見るためにオーストラリアの星仲間に土地を現地で用意させて日本からハイテクの望遠鏡を持ち込んで,オーストラリア西部のバースという町の近くに愛犬の名前を冠した「チロ天文台南天ステーション」を建設したりと,やることなすことが,アマチュア天文愛好家羨望の的でした。
藤井旭さんは,天文の入門書など60冊を越える著書もあり,そのどれもが,魅力にあふれた素敵な本なのです。また藤井旭さんの写した天体写真はとても美しくて世界的に有名で,NASAにも無償で提供しハッブル宇宙望遠鏡がどこを写しているかを示す写真に使われています。
この人の不思議なのは,これほど,世間で「目だつ」ことをずっとやってきたのに,その人となりを詳しく語る人もなく,悪口のひとつも聞いたことがなく,まったく私欲がなく偉そうでなく,星を楽しむためだけに生きているように見えることなのです。きっと本人も有名になろう… などとは全く考えていなかったのだろうと思われるし,ただただ好きなことをやっていたらこうなってしまったという,まさに自然体で生きてきた感じなのです。本当はいろいろなご苦労があったのでしょうが,それを一切外には出さず,一見,お金の心配もなく,働いているようにも思われず,浮世の悩みもなく生きてこられたように見えるのです。
このようなわけで,「白河天体観測所」というのは天文ファンの「聖地」であり,私のような「月刊天文ガイド」を1966年の創刊号のころから知っている人間にとって、藤井旭さんというのは、まさに、この雑誌とともに歩んだ天文ファンにとって憧れというか仙人みたいな人物なのです。
東日本大震災で被災して再起不能になってしまった白河観測所は,残念ながら,2014年に閉鎖されてしまいました。その時のことがこの本にも「ああ,楽しかったの50年」としてつづられています。これは「月刊天文ガイド」にすでに載っていた文章なのですが,まさに,藤井旭さんにとって,この50年は心から「ああ,楽しかった」のだろうと思います。
この本には,このほかにも,この白河観測所とはどんな観測所だったのか過去を振り返りながらその全貌を紹介しているのですが,そのほとんどは書下ろしではなく,これまでにどこかで書かれていたことなので,私はすでに読んだことがありました。この本は,それをまとめただけなのですが,久しぶりに再びそれを読もむことができて,昔のことが懐かしくなりました。
当時の天文少年たちは,みんなこうした夢を追いながら大人になり,でも,ほとんどの人は,夢を置き去りにして食うために働き,やがては歳をとりました。また,すぐれた,あるいは,幸運を手に入れた少数の人は,学者となり,宇宙飛行士となり,あるいは,ずいぶんと大金をつぎ込んで大きな望遠鏡を手に入れて新天体の発見に業績を残したり,ハイテクの機材を使いこなしてプロの天体写真家となりました。
しかし,結局,そうした当時の天文少年の誰しもが決して越えられないのが,誰よりも実際に星をたくさん見,愛した藤井旭さんの,ひょうひょうとした肩にまったく力が入っていない姿と,高等遊民のように,趣味に生きたその生き方そのものなのです。
藤井旭さんについても,この白河天体観測所についても,これだけ有名だから,きっとよく知る人もいると思うのに,なぜか,その人物の本当の姿も,その観測所のある場所も、その実際の姿は明かされず,しかも,それを探ろうともしないのが不思議なことです。そして,その不思議さこそが,仙人であり聖地たるゆえんなのです。
きっと,みんな「夢」がみたいのです。
かくいう私も,ずっと本を読むだけの単なる一天文ファンだったのですが,同じように歳だけとった今になって,やっと,昔買った小さな望遠鏡で暇があれば星空を見たり写真を撮ることができるようになりました。今は,50年前にもどって楽しんでいる感じです。そして,そんな今になってはじめて,ああ,藤井旭という人はこういうことをずっとやってきたんだなあ,と実感して,私は50年何をやっていたのか,とちょっぴり虚しくなるとともに,ますますその生き方がうらやましくなりました。
子供のころに帰ることができる素敵な本でした。」
それをお借りして掲載します。
この感想文を読みながら、昔のことを思い出し涙が出ました。
長いのですが、興味があれば読んでみて下さい。
「私が久しぶりに購入した本は藤井旭さんの書いた「白河天体観測所」です。「日本中に星の美しさを伝えた,藤井旭と星仲間たちの天文台」という副題がついています。
1966年に創刊されて50周年を迎えた「月刊天文ガイド」は,パソコンもスマホもなく、まだ日本が貧しかったころの少年たちが夢を膨らませるのに十分な雑誌でした。そうした少年たちより少し年上の先輩たちの活躍や話題がこの雑誌を作り上げ,日本のアマチュア天文家に天体写真ブーム巻き起こしたのです。
そのなかには池谷薫さんとか関勉さんのように彗星を発見したりする人や富田弘一郎さんのような専門家がいたのですが,そういう人たちとは別に,一見,学問とか業績とは無縁のアマチュア天文家のリーダー的な存在を通したのが,天体写真家の藤井旭さんでした。
藤井旭さんは1941年の生まれ。子供のころに戦後で何もないので星ばかり見ていた事から星が好きになったのだそうです。山口市の出身なのですが,大学は(入学試験が楽なので)多摩美大を志願して見事入学。入学後は星ばかりを見て過ごし,卒業後,とにかく星がよく見えるところという条件で東北を旅していたときに,ちょうど郡山に寄った際,饅頭屋で「これはうまい」と言ったら,それを耳にした社長から「それじゃ社員になれ」ということでお客が直ぐに店員となって働き出したという経歴の持ち主です。
その後,1969年に福島県の白河に星仲間と一緒に白河天体観測所というアマチュアの観測所のはしりとなる天文台を建設して口径30センチメートルの反射望遠鏡を設置しました。その天文台も,学問とはほぼ無縁,仲間内で星を楽しむための施設でした。そして,台長さんには飼っていたアイヌ犬のチロを任命。この辺りはクマが出没するので一番強く頼りになる犬のチロが天文台長にふさわしい… ということでそうなったのだそうです。
さらには,愛犬のチロとともに「チロの星祭り」を浄土平で毎年開いて,全国から2千人もの人が集まったり,日本ではもう新たに見る星がなくなったと,1995年に南半球の見るためにオーストラリアの星仲間に土地を現地で用意させて日本からハイテクの望遠鏡を持ち込んで,オーストラリア西部のバースという町の近くに愛犬の名前を冠した「チロ天文台南天ステーション」を建設したりと,やることなすことが,アマチュア天文愛好家羨望の的でした。
藤井旭さんは,天文の入門書など60冊を越える著書もあり,そのどれもが,魅力にあふれた素敵な本なのです。また藤井旭さんの写した天体写真はとても美しくて世界的に有名で,NASAにも無償で提供しハッブル宇宙望遠鏡がどこを写しているかを示す写真に使われています。
この人の不思議なのは,これほど,世間で「目だつ」ことをずっとやってきたのに,その人となりを詳しく語る人もなく,悪口のひとつも聞いたことがなく,まったく私欲がなく偉そうでなく,星を楽しむためだけに生きているように見えることなのです。きっと本人も有名になろう… などとは全く考えていなかったのだろうと思われるし,ただただ好きなことをやっていたらこうなってしまったという,まさに自然体で生きてきた感じなのです。本当はいろいろなご苦労があったのでしょうが,それを一切外には出さず,一見,お金の心配もなく,働いているようにも思われず,浮世の悩みもなく生きてこられたように見えるのです。
このようなわけで,「白河天体観測所」というのは天文ファンの「聖地」であり,私のような「月刊天文ガイド」を1966年の創刊号のころから知っている人間にとって、藤井旭さんというのは、まさに、この雑誌とともに歩んだ天文ファンにとって憧れというか仙人みたいな人物なのです。
東日本大震災で被災して再起不能になってしまった白河観測所は,残念ながら,2014年に閉鎖されてしまいました。その時のことがこの本にも「ああ,楽しかったの50年」としてつづられています。これは「月刊天文ガイド」にすでに載っていた文章なのですが,まさに,藤井旭さんにとって,この50年は心から「ああ,楽しかった」のだろうと思います。
この本には,このほかにも,この白河観測所とはどんな観測所だったのか過去を振り返りながらその全貌を紹介しているのですが,そのほとんどは書下ろしではなく,これまでにどこかで書かれていたことなので,私はすでに読んだことがありました。この本は,それをまとめただけなのですが,久しぶりに再びそれを読もむことができて,昔のことが懐かしくなりました。
当時の天文少年たちは,みんなこうした夢を追いながら大人になり,でも,ほとんどの人は,夢を置き去りにして食うために働き,やがては歳をとりました。また,すぐれた,あるいは,幸運を手に入れた少数の人は,学者となり,宇宙飛行士となり,あるいは,ずいぶんと大金をつぎ込んで大きな望遠鏡を手に入れて新天体の発見に業績を残したり,ハイテクの機材を使いこなしてプロの天体写真家となりました。
しかし,結局,そうした当時の天文少年の誰しもが決して越えられないのが,誰よりも実際に星をたくさん見,愛した藤井旭さんの,ひょうひょうとした肩にまったく力が入っていない姿と,高等遊民のように,趣味に生きたその生き方そのものなのです。
藤井旭さんについても,この白河天体観測所についても,これだけ有名だから,きっとよく知る人もいると思うのに,なぜか,その人物の本当の姿も,その観測所のある場所も、その実際の姿は明かされず,しかも,それを探ろうともしないのが不思議なことです。そして,その不思議さこそが,仙人であり聖地たるゆえんなのです。
きっと,みんな「夢」がみたいのです。
かくいう私も,ずっと本を読むだけの単なる一天文ファンだったのですが,同じように歳だけとった今になって,やっと,昔買った小さな望遠鏡で暇があれば星空を見たり写真を撮ることができるようになりました。今は,50年前にもどって楽しんでいる感じです。そして,そんな今になってはじめて,ああ,藤井旭という人はこういうことをずっとやってきたんだなあ,と実感して,私は50年何をやっていたのか,とちょっぴり虚しくなるとともに,ますますその生き方がうらやましくなりました。
子供のころに帰ることができる素敵な本でした。」
ズィーティーエフ彗星が近づいています ― 2023年01月04日 11時58分36秒
「2023年1月 ズィーティーエフ彗星が6等前後
https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/12785_ph230100 」
興味ある人は記事を読んで下さい。
4等級になるとの情報もあります。
写真撮影する場合は夜なので、防寒をして下さい。
冬の天体写真撮影は寒くて大変なのです。(笑)
https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/12785_ph230100 」
興味ある人は記事を読んで下さい。
4等級になるとの情報もあります。
写真撮影する場合は夜なので、防寒をして下さい。
冬の天体写真撮影は寒くて大変なのです。(笑)
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