良かった !! 認知症不明女性 7年ぶり再会 ― 2014年05月12日 21時38分57秒
NHKオンラインからのコピーです。私と同じ浅草の人だったのですね。良かったですね。このようなことに放送は役に立つのですね。私も放送が役に立ち嬉しく思います。だけど、地元の私は知りませんでした。
人の力だけでは限界がありますね。放送の力をもっと活用しなければね。
「認知症やその疑いがあって行方不明となる人が年間およそ1万人に上っている問題で、無事、保護されたものの認知症のため身元がわからず7年間、群馬県内の施設で暮らし続けている女性について、NHKが11日番組で放送したことをきっかけに12日夫が面会し、東京の67歳の女性と確認されました。
この女性については下着に名前が書かれているなど多くの手がかりがありましたが、7年もの間、身元不明のままでした。
認知症やその疑いがあり、徘徊などで行方不明になっている人が全国で年間およそ1万人に上っている問題で、NHKが全国の自治体などを取材した結果、無事、保護されたものの認知症のため名前や住所などの身元がわからず、施設などで今も暮らしている人が4月1日時点で少なくとも4人いました。
このうち平成19年に、群馬県館林市で保護された後、身元がわからないまま7年間、介護施設で暮らし続けている女性について、11日NHKスペシャルで放送したところ、身元に関する情報が相次いで寄せられました。
これがきっかけとなり、夫が12日、館林市内の施設で面会し、女性は東京・浅草の柳田三重子さん(67歳)と確認されました。
三重子さんは4年ほど前から寝たきりになっていて、7年ぶりに再会した際、夫の滋夫さんは三重子さんの名前を何度も呼びかけ、手を握っていました。
滋夫さんによりますと、三重子さんの行方がわからなくなった直後、警察に届け出たほか、自分たちでもチラシを作って地域に情報提供を呼びかけたものの、手がかりは得られなかったということです。
柳田さんをめぐっては、保護されたとき身につけていた靴下に「ヤナギダ」、下着に「ミエコ」といずれも片仮名で書かれているなど多くの手がかりがありましたが、7年もの間身元不明のままでした。
認知症のため身元がわからないまま施設で暮らしている人をめぐっては、4月、大阪市内の施設で暮らす男性がNHKのニュースをきっかけに兵庫県内の74歳の男性と判明し、2年ぶりに家族と再会しています。
柳田三重子さんが保護されたのは、7年前の平成19年10月30日、午前0時半ごろでした。
群馬県館林市にある東武鉄道館林駅の近くの路上で「後ろからついてくる女性がいる」という通報があり、交番で保護されました。
身なりは整っていましたが、認知症のため名前や住所が言えなかったため、警察は、館林市に対応をゆだねました。
館林市は旅先で病気などで倒れた人を意味する「行旅病人」として、法律に基づいて市内の介護施設で保護しました。
名前を伺わせる有力な手がかりがあり、靴下にはかたかなで「ヤナギダ」、下着には「ミエコ」と書かれていました。
しかし、保護された時、「クミコ」としか名乗らなかったため、館林市は保護の手続きに必要だとして「柳田久美子」という仮の名前をつけました。
また生年月日も外見から推測して昭和20年1月1日として住民票を作りました。このほか身に付けていたものにも身元につながると思われる手がかりがありました。指輪は3つ持っていて、そのうち結婚指輪とみられるものの内側には「5.12」「StoM」と彫られていました。
柳田さんは保護された当時、笑顔があふれ、よく歌を歌っていましたが、次第に表情が失われ、4年ほど前からは寝たきりになったということです。
柳田さんの対応を警察からゆだねられた群馬県館林市は、身元不明の女性を保護していることを、群馬県を通じて県内のすべての市町村に文書で周知し、情報提供を呼びかけたということです。
また、柳田さんが東武鉄道の駅前で保護されたことから、東武鉄道沿線の東京、埼玉、栃木の自治体の福祉事務所にも文書で連絡しましたが、該当はなかったということです。
いずれの文書も顔写真を添付したかどうかや所持品などの情報を記載したかといった詳しい内容は、記録が残っていないためわからないとしています。
一方、館林市から報告を受けた群馬県の介護高齢課は、当時の資料が残っておらず、わからないとしています。
7年ぶりに三重子さんと再会した夫の滋夫さんは「妻がいなくなって警察に捜索を依頼し、自分たちでチラシを貼ったが情報はなく、ほかに探すすべがなくなり、月日がたつごとに諦めの気持ちが増していた。きょうがちょうど40回目の結婚記念日で、神様はいるのではないかと思った。一方で覚悟はしていたものの妻の病状は厳しく、今後の生活への戸惑いはある。
いなくなって間もなく警察に保護され、その時点で名前がわかっていたはずで、もう少し早く見つかっていれば病状を遅らせたりすることができたのではないかと思うのでとても残念だ」と話しています。」
人の力だけでは限界がありますね。放送の力をもっと活用しなければね。
「認知症やその疑いがあって行方不明となる人が年間およそ1万人に上っている問題で、無事、保護されたものの認知症のため身元がわからず7年間、群馬県内の施設で暮らし続けている女性について、NHKが11日番組で放送したことをきっかけに12日夫が面会し、東京の67歳の女性と確認されました。
この女性については下着に名前が書かれているなど多くの手がかりがありましたが、7年もの間、身元不明のままでした。
認知症やその疑いがあり、徘徊などで行方不明になっている人が全国で年間およそ1万人に上っている問題で、NHKが全国の自治体などを取材した結果、無事、保護されたものの認知症のため名前や住所などの身元がわからず、施設などで今も暮らしている人が4月1日時点で少なくとも4人いました。
このうち平成19年に、群馬県館林市で保護された後、身元がわからないまま7年間、介護施設で暮らし続けている女性について、11日NHKスペシャルで放送したところ、身元に関する情報が相次いで寄せられました。
これがきっかけとなり、夫が12日、館林市内の施設で面会し、女性は東京・浅草の柳田三重子さん(67歳)と確認されました。
三重子さんは4年ほど前から寝たきりになっていて、7年ぶりに再会した際、夫の滋夫さんは三重子さんの名前を何度も呼びかけ、手を握っていました。
滋夫さんによりますと、三重子さんの行方がわからなくなった直後、警察に届け出たほか、自分たちでもチラシを作って地域に情報提供を呼びかけたものの、手がかりは得られなかったということです。
柳田さんをめぐっては、保護されたとき身につけていた靴下に「ヤナギダ」、下着に「ミエコ」といずれも片仮名で書かれているなど多くの手がかりがありましたが、7年もの間身元不明のままでした。
認知症のため身元がわからないまま施設で暮らしている人をめぐっては、4月、大阪市内の施設で暮らす男性がNHKのニュースをきっかけに兵庫県内の74歳の男性と判明し、2年ぶりに家族と再会しています。
柳田三重子さんが保護されたのは、7年前の平成19年10月30日、午前0時半ごろでした。
群馬県館林市にある東武鉄道館林駅の近くの路上で「後ろからついてくる女性がいる」という通報があり、交番で保護されました。
身なりは整っていましたが、認知症のため名前や住所が言えなかったため、警察は、館林市に対応をゆだねました。
館林市は旅先で病気などで倒れた人を意味する「行旅病人」として、法律に基づいて市内の介護施設で保護しました。
名前を伺わせる有力な手がかりがあり、靴下にはかたかなで「ヤナギダ」、下着には「ミエコ」と書かれていました。
しかし、保護された時、「クミコ」としか名乗らなかったため、館林市は保護の手続きに必要だとして「柳田久美子」という仮の名前をつけました。
また生年月日も外見から推測して昭和20年1月1日として住民票を作りました。このほか身に付けていたものにも身元につながると思われる手がかりがありました。指輪は3つ持っていて、そのうち結婚指輪とみられるものの内側には「5.12」「StoM」と彫られていました。
柳田さんは保護された当時、笑顔があふれ、よく歌を歌っていましたが、次第に表情が失われ、4年ほど前からは寝たきりになったということです。
柳田さんの対応を警察からゆだねられた群馬県館林市は、身元不明の女性を保護していることを、群馬県を通じて県内のすべての市町村に文書で周知し、情報提供を呼びかけたということです。
また、柳田さんが東武鉄道の駅前で保護されたことから、東武鉄道沿線の東京、埼玉、栃木の自治体の福祉事務所にも文書で連絡しましたが、該当はなかったということです。
いずれの文書も顔写真を添付したかどうかや所持品などの情報を記載したかといった詳しい内容は、記録が残っていないためわからないとしています。
一方、館林市から報告を受けた群馬県の介護高齢課は、当時の資料が残っておらず、わからないとしています。
7年ぶりに三重子さんと再会した夫の滋夫さんは「妻がいなくなって警察に捜索を依頼し、自分たちでチラシを貼ったが情報はなく、ほかに探すすべがなくなり、月日がたつごとに諦めの気持ちが増していた。きょうがちょうど40回目の結婚記念日で、神様はいるのではないかと思った。一方で覚悟はしていたものの妻の病状は厳しく、今後の生活への戸惑いはある。
いなくなって間もなく警察に保護され、その時点で名前がわかっていたはずで、もう少し早く見つかっていれば病状を遅らせたりすることができたのではないかと思うのでとても残念だ」と話しています。」
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