浅草寺の起源について2020年10月14日 10時17分10秒

昨日の続きです。
でも、昨日の話とは全く違います。
今日は浅草寺の起源についての話です。
後でネットで調べてもらえれば詳しく分かりますが、浅草寺起源となった観音様は、地元漁師の2人が隅田川で観音像を見つけ、地元の文化人1名が観音様であることを告げ祀ったことが、浅草寺の起源とされています。 
しかし、観音様は何処から流れてきたのか、は浅草寺の史料には無いようです。
ここで書くことは、観音様が流れ着いた経緯と、元は何処の寺の観音様だったのか、ということを書きますが、あくまでそういう説もあるということを承知おき下さい。

地図

私が現地へ行き調査したのは次のとおりです。
富山県砺波市、JR城端線(じようはなせん)の戸出(といで)駅と油田(あぶらでん)駅から近くに観音様の大元の寺と言われる常福寺があり、この寺の近くに記念公園があります。
いわれは下記文章を読んで下さい。

富山の寺


門柱

記念碑

次に、西武池袋線の飯能駅近くにある歓喜寺です。
ここには写真に書いてあるようないわれがあります。

いわれ
一人の旅僧が歓喜寺(岩井堂)へ持ってきた観音様が、嵐により成木川へ流された、と書いてあります。
観音様が安置されていた岩井堂は、今でも崖っぷちにあり、下のすぐそばには成木川が流れています。

成木川

上の2つの寺のいわれを読んでみると、富山・常福寺の観音様を盗んだ旅僧が、埼玉・歓喜寺へ持ち込み安置し、その後、嵐で観音様が成木川へ流れ出し、浅草の隅田川で拾われ浅草寺に安置された、と読むことが出来そうです。
ただ、常福寺も歓喜寺も自分の寺の観音様であると言っているようで正解はありません。
各寺のいわれを読むと、浅草寺は両寺とも認めているようです。

この他にも、高知県、静岡県、奈良県、愛知県にも観音伝承があるようですが、今のところネットにも情報が無く、確認できていません。
今後とも情報があれば調べていきたいと思います。

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